OS2/歴史/temp/MichalN/OS2_2.1

OS2/歴史/temp/MichalN/OS2_2.1

※このページの文章は、The History of OS/2OS/2 2.1 に関する部分の日本語訳です。元のページに貼り付けてあった画像は持ってきてないので、元のページを各自ご参照ください。

OS/2 2.1

1993年5月、IBM は OS/2 バージョン 2.1 をリリースした。OS/2 2.0 のさらなる改良品で、一見した限りでは旧版との目立った違いは見受けられない。 OS/2 アーキテクチャの驚異についてうんざりするような技術解説を読むこともなく、ごきげんなスクリーンショットを堪能すればすむのだから、これはいいことなのだ…うーん、まあ、ちょっと言い過ぎた。 実際の OS/2 2.1 は OS/2 2.0 と同じくつまらない見栄えで、(間違いなく念入りな研究をもとに決定された)ダサいカラー・パレットと以前のままの味気ないアイコンだった。

(figure: OS/2 2.1)

実際、最大級の OS/2 マニアでも、これが OS/2 2.0 なのか 2.1 なのか答えるのはかなり難しいだろうと私は思う。そんなわけで私の言葉をそのまま受け入れていただくほかない。 スクリーンショットからはどちらなのか答えられない理由が他にあるとしたら、これが本当は1993年10月にリリースされた OS/2 2.1 Special Edition、というより OS/2 for Windows として知られているものだということがある。

インストール

しかし、私が OS/2 2.1 のインストールにどれだけ苦労したかをまず語ることにする。私は OS/2 2.1 for Windows のCD版を持っている。これには4枚のブートフロッピーが入っている。2HD の3.5インチ2枚と5インチ2枚だ。なんとも不幸なことに最近のドライバが入っていない(登場時期を考慮すればそれほど意外ではないが)。メインの40Gバイトのディスクへのインストールは試しもしないで「懐かしの」4Gバイトディスクを復活させた。でもダメだった。まずはじめにフロッピーがブートさえせず、A:\COUNTRY.SYS が見つかりませんと文句をいってきた。ファイルはたしかに存在するしハードディスクの障害によって起こることでもないのでこれは変だと思った。そこで OS/2 2.0 のインストール中に学んだ小技を使った。私は自機 PIII-600 の内部キャッシュと外部キャッシュを無効にした。

これで最初のハードルは越えた。二番目がすぐに来た。すでに言ったように私は CD-ROM 版を持っている。思い返せばいかにも私は20枚のフロッピーを作らずにすんだのだが、これで時間がだいぶ節約できたのだった。私は2台の CD-ROM ドライブを持っていた。新しめの IDE DVD-ROM と、Adaptec の 2940 PCI コントローラに接続された古めの SCSI CD-ROM である。最悪なことに OS/2 2.1 にはどちらのドライバも入っていなかった。IDE-CDROM と Adaptec の 2940 はどちらも OS/2 2.1 のすぐ後に出たはずだ*1。私は Warp の Adaptec ドライバを試したが、どうやら PCI サポートがないために OS/2 2.1 ではロードさえされなかった。きらきら輝く CD-ROM があっても、その中に入ったデータは取り出せないのだった。

さいわい私にはまだ奥の手があった。はるかな昔、OS/2 Warp と昔のミツミ独自制御方式の倍速 CD-ROM で似たような問題があったので慣れていたのだ。この時点で DOS から CD-ROM にアクセスできたのだから、CD-ROM の内容をハードディスク側にコピーして、そこからインストールできる(ルートディレクトリのファイル OS2SE20.SRC でインストーラの場所を指定する)ことはわかっていた。ゆえに私はそうした。

インストールの第一段階の間は何の問題もなく過ぎた。しかしその後、途中までインストールされた OS/2 が再起動せず、ブートマネージャの後で固まってしまった。これは L1 キャッシュと L2 キャッシュを再び有効にすると直った――なんでかは知らない。不幸にしてこれは今回最大の難関を呼び込んだだけだった。相変わらずブートはできず、VIOTBL.DCP、DOSCALL1.DLL 他たくさんのファイルが見つかりませんというメッセージが出ていた。あれこれやった挙句にようやく、CONFIG.SYS を編集してインストール・シェルのかわりに CMD.EXE を起動するという名案が浮かんだ。コマンドプロンプトが L: ドライブ――そんなドライブは存在しない――に設定されているのを見て、何が起こっているのかわかった。

これはブートマネージャと LVM*2 の(困った)仕様である。ご存知のように、ブートマネージャ経由で起動するとき、ブートマネージャはシステムにドライブ文字が何であるのかを通知する。理由は定かでないが、こういった事の次第だ。私が OS/2 2.1 をインストールしたボリュームは、LVM では L: に設定されたが OS/2 2.1 には D: に見えていた。だからファイルはすべて D: にあったのだが、哀れな OS/2 は L: からブートしていると思って何も見つけられないのだった。問題がわかったのでドライブ文字をすぐに変更した。

そして最後の問題――またディスクドライブだ。OS/2 はまだディスクを正しく認識していなかった。これは思いがけない方法で解決された――いやほんとに、これがいけるとは思っていなかった。ダメ元で私は IBM の DDPak サイトから最新の IDE ドライバ(2001年7月のもの)を取ってきてそのまま OS/2 2.1 に突っ込んだ。どうだったかというと、それは動いた。のみならずそれをブートフロッピーに入れて IDE CD ドライバをインストールできることも発見した。そしてフロッピーのドライバをアップデートすれば CPU キャッシュを無効にする必要もなくなった! 先に気づかなかったばかりに散々だった。ともかく、もし古い OS/2 2.1 を発掘して新しいマシンにインストールする気になったら、まずこの小技を思い出してほしい。 この話の教訓:とにかくうまくいかなかったら、変えられるところを変えてみてもう一度試せ。それで動くようになるかもしれない。

一大特徴

ともかくこの冒険の果てに私は OS/2 2.1 をインストールできたが、これによって私は(例のごとく)OS/2 の内部動作について、自分が知ろうとしたことよりも多くのことを学んだのだった。そうこうしている間に、私は OS/2 2.1 の新しい一大特徴である MMPM/2(マルチメディア・プレゼンテーションマネージャ/2 MultiMedia Presentation Manager/2)をインストールした。バージョン 2.1 では、MMPM/2 は OS に同梱されていたが、別個になっていてそれ専用の導入プログラムがあった。Sound Blaster と Pro Audio Spectrum カードのドライバしか入っていなかったが、ありがたいことに SB 16 Pro のドライバは私の AWE 64 でも非常にうまく動いた。MMPM/2 インストール後のデスクトップはこんな風だった。

(figure: OS/2 2.1 with MMPM)

そう、新しいマルチメディアアイコンが燦然と輝いていた。そしてもちろん、音が出た! OS/2 の起動、ウィンドウのオープンとクローズ、エラーウィンドウの出現、すべてに連動したサウンドが出せた。忘れないでもらいたい、これが1993年でのことだ! ソフトウェア動画さえ入っていたが、これをまともに使うには最低256色をサポートするビデオドライバをインストールする必要があった(そして私は該当するものを Matrox G400 しか持っていなかった)。16色の場合、Ultimotion の動画はどうにも悲惨で、Indeo の動画はまるで再生できない。2.1 のCDには後に OS/2 Warp のCDに含まれるのと同じサンプル動画が入っていた。

OS/2 2.1 の目に見える向上点は他にほとんどない。OS/2 2.1 は OS/2 2.0 で果たされなかった32ビットの新グラフィックエンジンが搭載された。主にラップトップコンピュータ向けの APM サポートが含まれていた。そして忘れてはならないところだが、バージョン 2.1 はプリンタとディスプレイドライバの選択の幅がより広がった。

高水準のアプリケーション環境

というのが OS/2 2.1 での IBM のスローガンだった。低水準というのは、もちろん、DOS と Windows だった。バージョン 2.0 がそうだったように、OS/2 2.1 は大部分の DOS と Windows 3.x のアプリケーションをサポートした。ただ OS/2 2.0 には Windows 3.0 が付属していたが、バージョン 2.1 には Windows 3.1 が付属していた。私のように OS/2 for Windows の場合は別だが。OS/2 2.0 の場合、事情は単純だった。3.5インチ、5インチ、CD-ROM 版があり、アップグレード版があったが、本当のところこれらはすべて同一のものだった。OS/2 2.1 for Windows では面白いことになっている。OS/2 for Windows には Win-OS/2 は付属しておらず、かわりにすでにインストールされた Windows 3.1 を利用することになっていた。とはいえ必ず必要というわけでもなかったから、Windows のない OS/2 for Windows というのもありだったのだ(面白いでしょ?)。後に1995年夏の Warp Connent の出現でこの混乱が新たな段階に入った。つまり選択肢として4つの別バージョン(配布メディアの違いは勘定にいれずに)が存在するようになった――これについては別のところで。

OS/2 2.1 のコードネームは「ボーグ (Borg)」だった。これは OS/2 for Windows になら確かにふさわしい*3。それは市場の情勢に応じたものであった。Microsoft は OEM 業者を厳重なコントロール下に置き、MS-DOS/Windows 以外のもののプリインストールを阻止していた。これは後に違法とされたがともかく OS/2 への助けにはならなかった。IBM は OS/2 for Windows で、Microsoft との契約を尊守しつつも OS/2 をプリインストールする道を OEM 業者に示した。私の記憶では1993年〜94年に、複数のドイツの業者が OS/2 をプリインストール済で提供した。

アプリケーション

OS/2 2.1 の時代、OS/2 で利用可能なアプリケーションの数は急速に増加した。IBM はいくつかの有名な企業が自社製品の OS/2 版を開発するように説得することができた――Borland や Novell、Lotus、WordPerfect のような企業である。IBM が少なくともそれらの OS/2 版に対して助成金を払ったらしいという話を私は聞いたことがあるが、確かな証拠は何もない。 うわさついでに、私は Microsoft が IBM に比べて非「積極的」というわけでもなかったことにも触れておきたい。企業への金銭の支払いというわけではないが、Microsoft 以外のプラットフォーム向けに開発を行った場合、Windows の情報やベータ版へのアクセスが拒否されるという脅威があった(Borland の場合は確かにそうだった)。

Borland C++ に関する記述は OS/2 2.0 のページのほうでやったし、ネットワークに興味はない。残りは WordPerfect と Lotus だ。1993年、WordPerfect 社は WordPerfect 5.2 for OS/2 をリリースした。移植されたほかの多くのアプリケーションのように Micrografx の Mirros を利用していた。見た目はこんな感じだった。

(figure: WP5.2 about)

あまねく普及していた DOS 版 WordPerfect 5.1 と違い、OS/2 版の(Windows 版も)バージョン 5.2 は WYSIWYG ワードプロセッサだった。そして強力なワードプロセッサだった。見たところその他のワードプロセッサとほとんど変わらなかったが、すばらしい「内部書式の直接編集 (Reveal Code)」機能がついていた。

(figure: WP5.2 - d:\wpos2\printer.lst)

前回(OS/2 2.0 のところで)私は CorelDraw 2.5 の移植をやっつけ仕事だと批評した。WordPerfect 5.2 for OS/2 はまったく違っており、同じ移植でもこちらのほうがだいぶよかった。WPS との包括的な統合を提供し、じじつ WPS 対応アプリケーションのモデルであった。

(figure: WP5.2 - "WordPerfect for OS/2" folder and "Templates" folder)

文書テンプレートがあり、WordPerfect 文書の広範なドラッグアンドドロップ操作(印刷など)をサポートしていた。 残念ながら、大部分の WP5.2 ユーザはそれが非常に遅く(PIII-600 な自機ではもちろんそうでもない)、バグが多いと不平を述べた。興味深い事実として、WP5.2 が16ビットアプリケーションであり、実際 Microsoft C 6.0 でビルドされた。Microsoft はこのことで愉快痛快だったに違いない。大部分の OS/2 の WordPerfect ユーザは、この(一応)ネイティブ製品よりもむしろ DOS 版の 5.x か 6.x を選んだ(そして今でも使っている)と思われる*4。WordPerfect 社は WordPerfect 6 の OS/2 版に取り組んでいたが、おそらく OS/2 版の WP5.2 が不評だったために、1993年12月に製作を中止した。WordPerfect と OS/2 ユーザのどちらが間違っていたのかは誰にも言えることではない。

では Lotus Development Corporation から出た WordPerfect の対抗馬、1993年リリースの AmiPro 3.0 for OS/2 をみてみよう。私見では AmiPro は WordPerfect ほど強力とはまったくいえないが、通常のオフィスユースではOKだった。AmiPro は 1-2-3 や Notes のような他の Lotus の製品と連動させることが可能だった。

(figure: Lotus Ami Pro About)

WordPerfect 5.2 と同じで、AmiPro も Windows 製品の移植だった。しかし WP5.2 と違い、AmiPro は Mirrors を使わなかった。純粋な32ビットプログラムだった(Borland C++ 1.0 for OS/2 でビルドされていた)。

(figure: Lotus Ami Pro - MERCURY.SAM)

AmiPro 3.0 for OS/2 は Windows 版についている機能のいくつか(ドローとチャート)が抜け落ちていたが、その一方 REXX 対応のような OS/2 独自の機能があった。AmiPro 3.0 が Lotus 最初の OS/2 ワードプロセッサかどうか自信がないが、最後でなかったことは間違いない。AmiPro 3.0 のアップデートが何度かあり(最終版が 3.0b だったはず)、WordPro が後に続いた。AmiPro 3.0 for OS/2 の出来栄えについて確かなことを私はいえないが、安定性の欠如という点について多くの酷評を聞かされてきた。

多くの OS/2 ユーザによって支持されたワードプロセッサは DeScribe, Inc. によって開発された DeScribe だった。これは OS/2 向けに一から開発されたネイティブアプリケーションだった――DeScribe の最初のバージョンは OS/2 1.x で動いていたはずだ。私は単なる興味本位にプログラムの実行ファイルを覗き、それが IBM CSet++ コンパイラでビルドされていることを確認したのだった。 DeScribe は高速かつ強力だった――テキストフレームといった DTP 的な機能も提供し、ドロー機能も内包していた。

(figure: DeScribe 5.0)

上のスクリーンショットは1994年にリリースされた DeScribe 5.0 のものである。DeScribe 4 や 3 の画像がここにあればもっとよかったのだが、私が持っているのはバージョン 5 だけだ。AmiPro 3.0 や WordPerfect 5.2 の多くのユーザはバグや不安定さのためにそれらを使わなくなったが、その一方 DeScribe のユーザはそれがかなりの負荷にも耐えうると主張した。

アプリケーション開発

前回 OS/2 2.0 で利用可能なコンパイラをいろいろ見てきた。2.1 時代、それらのコンパイラはすべて新バージョンになっていた(IBM CSet++ 2.1、Borland C++ 1.5 と 2.0、Watcom C/C++ 9.5 と 10)が、 Watcom C/C++ バージョン 10 以外は旧版と実質的違いがなかった。しかし Watcom C/C++ バージョン 10 の印象について書くかわりに、カナダのオンタリオ州ウォータールー所在 Watcom International Corp. による、ひとあじ違ったきわめて OS/2 独自な製品、VX-REXX 1.0 をご紹介しよう。バージョン 1.0 が1993年にリリースされ、その後1994年にバージョン 2.0、2.1 と続いた。最高位バージョンは VX-REXX クライアント/サーバエディションで、これはチャート、Watcom SQL(当然ながら)や IBM DB2/2 と通信できるデータベースオブジェクトをサポートしていた。

(figure: VX-REXX about)

VX-REXX のコンセプトは Delphi や Visual Basic と似たものだった。ユーザはウィンドウを作成し、そこに GUI コントロール(オブジェクト)を配置する。各オブジェクトのプロパティは拡張され、ノートブック制御の中に見事に収まっていた。オブジェクトはイベントを受け取り、各イベントは REXX のコードに結びつけることができた。シンプルでありながら強力。

(figure: VX-REXX Properties for pb_color6)

Watcom VX-REXX はその使いやすさや強力さ、柔軟性のために人気のあるツールだった(今でもそうだ)*5。簡単な小物 GUI アプリの作成が VX-REXX ではきわめて簡単で、いいサンプルがいろいろと入っていた。

Watcom VX-REXX 1.0 が3.5インチの 2HD フロッピー一枚に入っており、大量のオンラインドキュメントがついていた(製本マニュアルと同じもの)ことにも触れておいたほうがいいだろう。このような製品には今日もうお目にかかれないだろうと思われる。そして VX-REXX にも競争相手があった――VisPro REXX である。もし VisPro REXX に言及しなかった場合、間違いなく VisPro REXX 派から敵対的なメールをもらうことになるだろうから(笑)。

OS/2 2.11 SMP

OS/2 の歴史における重大事件、OS/2 2.11 SMP に触れないわけにはいかない。1994年にリリースされ、SMP(対称型マルチプロセッシング symmetric multiprocessing)をサポートした最初のバージョンだった。事実それは SMP が使えた最初の商用 PC OS のひとつだった。残念ながら Warp Server for e-Business が出る(1999年)まで、SMP 版は常にシングル CPU 版に対してひとつ旧版のリリースとなっていた。このことが、少数派であることや SMP ハードウェアの高さなどと共に、デスクトップでの SMP 利用の拡大を妨げていた。知らない人のために説明しておくと、SMP とは単体システム内で複数の CPU を活用する方法のひとつである。すべての CPU が(ほぼ)平等で、どんな役割もこなす。SMP がマルチプロセッシングの唯一の形態でないことを指摘しておくべきだろう。各 CPU にそれぞれ固有の役割が割り振られるところから、そのまま非対称型マルチプロセッシング(asymmetric multiprocessing)と呼ばれるものもあって、これはむろん SMP ほど柔軟ではない。IBM は90年代初期に非対称型マルチプロセッサマシンを作っていた(OS/2 1.3 がそれで動いた)。ともかく OS/2 2.11 SMP を見てみよう――実際それは 2.11 のシングルプロセッサ版と何の違いも見受けられない。すくなくとも一見した限りでは。

(figure: OS/2 2.11 SMP)

OS/2 2.1 でないことはすぐにおわかりだろう。カラー・パレット(color scheme)がだいぶ違う。もっとじっくり見ればデスクトップのレイアウトやアイコンが変わっていないことがわかるが、このスキーム・パレットは後に OS/2 Warp で使われるのとおおむね同じものである。 技術的にみて、OS/2 2.11 SMP は驚きの産物だった。 その創造主が OS/2 2.11――そもそも SMP を想定して設計されたものではない――の機関部(まずカーネル、それからローダ、DOSCALL1.DLL*6)に魔法をかけて、最高の SMP オペレーティングシステムのひとつに仕立て上げたのだった。 OS/2 の SMP サポートはきわめてきめ細やかで、それぞれの CPU が別々のプロセスを実行できるだけでなく、単一プロセス中の複数スレッドもそれぞれの CPU で実行できたのだから。 つまり SMP 特化設計でないアプリケーションであっても、マルチスレッドであればその恩恵を受けることができた。

私は OS/2 2.11 SMP をマルチプロセッサモードで動かすことがなかなかできなかった。私が使える唯一の SMP マシンは 300MHz の Pentium II 2基を搭載した IBM IntelliStation M Pro だが、これだとブート処理の初期段階で固まってしまう。 だが OS/2 2.11 SMP が対応ハードウェアをめちゃくちゃ選ぶという話は聞いていたし、このマシンは 2.11 SMP がもうサポートされていないころに作られたものだったからそれほど意外にも思わなかった。しかしふとひらめいて Warp Server for e-Business から持ってきた OS2APIC.PSD(SMP 環境専用のドライバ)を使ったら、驚いたことに、うまく動いた!

(figure: OS2 2.11 SMP - OS/2 SMP Monitor)

上はマルチプロセッサ CPU モニタのスクリーンショットである。これはプロセッサの利用状況を表示するだけでなく、それぞれの CPU を選んで個別にオン/オフできる。OS/2 2.11 の SMP 版と通常版とのごくわずかな違いを示すもののひとつとして、これは好例だろう。

ワークプレースシェル拡張ソフト(WPS エンハンサー)

ワークプレースシェルの柔軟性と拡張性のおかげで、「拡張ソフト(エンハンサー)」がいくつか開発された。そのなかで最も出来がよく、最も普及したのが Stardock Systems の Object Desktop だった*7。実際にリリースされたのは1995年の終りで、厳密にいえばもはや 2.11 時代ではないが、当時 OS/2 2.11 はまだけっこう使われており、Object Desktop でもこれをサポートしていた。 Stardock の Kris Kwilas の厚意により、OS/2 関係の廃物庫から Object Windows 1.03 埃まみれのコピー(ZIP ファイルに埃がついてもどうということはないのだが)を発掘してもらったので、この最も売れた OS/2 ユーティリティプログラムのスクリーンショットを何枚か載せることにする。

例によって、これは難なくというわけにいかなかった。Object Desktop は VGA 解像度ではあまり見栄えがよくないので、私は OS/2 2.11 の SVGA 環境を物色することにした。私が使っている Matrox G400 のドライバが OS/2 2.11 で動けばよかったのだ。しかし動かなかった。いったいどういうこと? さいわい私には、おそらく世界最大であるビデオカードコレクションへの手づるがあった。さらに幾度かの試行錯誤ののち、ようやく OS/2 付属のドライバが使える古い S3 928 を発見した。この過程でブート時の OS/2 プロンプト起動のありがたみを学んだ。悲しいことに OS/2 2.11 にはこの機能が存在しない。CONFIG.SYS と OS2.INI の編集による VGA ドライバの手動インストールにも熟達するようになった。そして苦闘の成果がこれだ。

(figure: OS/2 2.11 with Object Desktop - Tab LaunchPad)

拡張フォルダ、Tab LaunchPad(OS/2 2.1 にはまだ LaunchPad はなかった)、そして Object Desktop のおそらく単体で最も有用な仮想デスクトップ機能を有した Control Center といった Object Desktop 1.0 の特質をごらんいただけるだろう。 そうそう、すべてのウィンドウに「閉じる」ボタン*8が追加されていることを忘れちゃいけない。しかし Object Desktop はそれだけに留まらなかった。

(figure: OS/2 2.11 with Object Desktop - Object Navigator)

これは Object Navigator、そして小粋なテキストビューアで表示された拡張データオブジェクトである。そして Control Center をもう一度見てもらいたいが、そこには CPU 利用状況、RAM、スワップ領域とディスク容量(そして時刻モニタ、すなわち時計)ぜんぶの小モニタがあり、そのうえデスクトップや重要フォルダのシャドウ*9がある。見た目クールでしょ? Object Desktop にはもりだくさんの機能があるが、スペースが足りないので*10その半分も言い表せない。Object Desktop のインストールは、ほとんど OS を新バージョンにアップグレードするようなものである。

OS/2 2.0 と比べると、OS/2 バージョン 2.1 および 2.11 はそんなに興味深いものではない。拡張点はいくつかあったが、それらの大部分はそれほど目に付かなかった(ので重要性が落ちた)。にもかかわらず、利用可能なアプリケーションを実質的に増やし、Windows 3.1 生来の不安定さに不満をつのらせたり DOS よりもよい何かを求めていた新規ユーザを引き寄せた。そしておそらく最も重要なこととして、OS/2 2.1 は、OS/2 の例のバージョンのお膳立てになった。すなわち、Warp である。しかし OS/2 Warp にはそれ専用のページを用意する価値がほぼ間違いなく存在するだろう。

謝辞

OS/2 2.11 SMP の CD を送ってくれたご厚意により、Lewis G. Rosenthal に感謝をささげる。

Object Desktop 1.0 のコピーについては Kris Kwilas に感謝する。

(てきとうな訳注)

*1 1993年当時、IDE(2008年現在風にいえばPATA)ポートに接続する CD-ROM ドライブは存在したが、標準的な転送プロトコルとしての ATAPI 規格が確立しておらず、各社 CD-ROM ドライブに対応するためのフィルタドライバが必要だった。汎用の ATAPI CD-ROM ドライバが含まれるようになったのは確か Warp V3 からだと記憶している。

*2 LVM ってのは確か「論理ボリュームマネージャ」とかそんな感じの意味で、たとえば複数のパーティションを単一ボリュームのように見せたりとかできる機能。OS/2 最後期の機能で、IBM から小売販売されたものの中でサポートしていたのは Warp Server for e-Business だけだったと思う。おそらく、そういう新しめの OS/2 か eComStation、あるいは DFSee みたいなサードパーティ製ツールでハードディスクのパーティションを確保したせいでこういうドライブ文字の矛盾が発生したんだと思う。

*3 OS/2 の開発コードネームにスタートレック由来のものが多いことは割と有名である。なぜ「ボーグ」がふさわしいのかというと…ボーグについて適当に調べてみるとわかるかも。ちなみに OS/2 for Windows の開発コードFerengi だそうです。

*4 Windows 時代になって Microsoft Word がのしてくるようになるまで、WordPerfect はかなりのシェアを持っていたらしい(日本で言ったら PC-9801 全盛期の一太郎みたいなもんなのだろうか。DOS 版が今でも根強く支持されているあたりむしろ Vz エディタに近いものを感じるが)。

*5 念のため OS/2 における REXX 言語の特権的地位について補足しておくと、そもそも OS/2 には REXX スクリプトエンジンが標準で付属しており、REXX のスクリプトをコマンドプロンプトからバッチファイルと同じように直接実行できた。また DrDialog という日曜大工感覚で GUI アプリを作成できる(イベントハンドラを REXX スクリプトで記述する)プログラムも無料で入手できた。つまり REXX に関してはシステム標準機能でもそこそこいけたので、あえて売り物にするにはそれ相応の機能と完成度が期待された。

*6 ファイル、プロセス、メモリ管理といった非常に基本的な API をエクスポートしているシステム DLL。Windows でたとえるなら KERNEL32.DLL に相当する。

*7 Stardock については中の人が書いた Stardock's OS/2 history あたりを読むと面白いかもしれない。非公式な日本語訳もあるらしい。訳したやつはもうちょっとマシな日本語に直したいらしい。でも読み返そうとすると自分の日本語/英語力のショボさに絶望してやる気をなくしてしまうらしい…。

*8 Object Desktop のリリースが OS/2 Warp V3 や Windows95 のリリースよりも後だということを念のため言っておく。ちなみに Warp V4 では「閉じる」ボタンが標準でつくようになった。

*9 シャドウはオブジェクトの実体に対するエイリアスで、Windows でいうところのショートカットアイコンと役割はほぼ同じ。ただし実オブジェクトとシャドウの連関はもっと緊密で、たとえばシャドウ経由でオブジェクトのプロパティを変更すると、実オブジェクト(とそのシャドウすべて)のプロパティにもただちに反映されるし、実オブジェクトをシュレッダーに放り込むとシャドウもすべて消去される(WPS 経由でオブジェクトを操作している限り、Windows のようなショートカットの「リンク切れ」は起きない)。BTRON の「仮身」に近いといったほうがいいかもしれない。ただし、OS/2 のファイルシステムは UNIX 的なシンボリックリンクをサポートしておらず、この連関はあくまで WPS 内でのことである。ちなみに WPS のデフォルト設定では、通常のオブジェクトアイコンとシャドウアイコンの見た目にほとんど区別はない(タイトルテキストのフォントと色を変えることはできる。逆にいうとタイトル抜きのアイコンだけでは見分けがつかない)。

*10 この記事はもともと Web マガジンに連載されていたもの。