OS2/歴史/temp/MichalN/OS2_Warp

OS2/歴史/temp/MichalN/OS2_Warp

※このページの文章は、The History of OS/2OS/2 Warp に関する部分の日本語訳です。元のページに貼り付けてあった画像は持ってきてないので、元のページを各自ご参照ください。

OS/2 Warp

1994年10月、IBM は OS/2 Warp をリリースした。OS/2 でもっとも普及したバージョンで、疑いなく過去最大級にクールなオペレーティングシステムのひとつ(Warp Connect の箱には「コンピュータをネットワークするいちばんクールなやり方」と書いてあったぐらいだから、真実に違いない)だった。出来がよいのでいまだに使っている人たちもいる――私は使っていない、というか少なくとも本気で運用していない。その土台は OS/2 バージョン 2.11 とそれほど違わなかったが、使い勝手の点からみるとおおいに進歩していた。

OS/2 Warp はまた、デスクトップ確保、あるいは少なくとも有効な市場シェアにむけた IBM の真剣かつベストな試みでもあった。この点について、デスクトップ市場の10パーセント程度を OS/2 Warp が押さえていたらしいと聞いたことがあったが、信頼できる数字なのかどうにも分かりかねたし――だいいちそんな数字を持ってるやつが本当にいたのかどうか――私は疑っていた。この市場シェア奪取に向けた試みはそれなりに成功し、多くの人々を Warp にひきつけた。私もそのひとりであり、OS/2 Warp は私が1995年、自分のマシン(Pentium 90 で、もともと RAM 8MB だったがすぐに追加して 16M にし、その後 32M にした)に初めてインストールした OS/2 だった。この頃のことはいい思い出である。

OS/2 2.1 と同様、OS/2 Warp にはふたつのバージョンがあった。まず Win-OS/2 なしの Warp で、箱の見た目から「赤箱(Red Spine)」と呼ばれた(「あなたの DOS と Windows を拡張する」と箱に印刷されていた)。たいていの人は、望むと望まざるとにかかわらずすでに Windows 3.1 を所持していたので、こちらのバージョンが主流になっていた。そしてもちろん赤箱のほうがだいぶ安上がりだった。もう一方のバージョンは Win-OS/2 つきの Warp で、「青箱(Blue Spine)」と呼ばれた(箱には「DOS と Windows アプリケーションのサポートを内蔵」とあった)。 どちらのバージョンもフロッピーもしくは CD-ROM で提供された。当時すでにフロッピー版はきわめてまれだった。というのも何しろ CD からフロッピーを作成できたからで、そのため直接 CD からインストールできないような事情の人でさえも(あるいはそこまで困っていなくても)CD 版を買うほうがましだと思えたのだった。*1

1995年中頃、Warp ファミリーは Warp Connect という新たな仲間を迎え(これもまた赤箱と青箱があった)、供給メディアの違いを除外しても、これで選択の幅が一挙に四つに増えてしまった。

OS/2 Warp は以下のようないくつかの点で期待されていた(順不同)。

  • 信頼性の高い、使いものになる32ビット OS。Windows 3.1 や後継の Windows 95 のように DOS の不安定な土台に依存していない。
  • DOS や Windows との最高度の互換性の提供。IBM 風に言うなら OS/2 Warp は「DOS よりもよい DOS」だった。個人的経験ではこれは真実だった。
  • すばらしいコミュニケーションツールで、多くの人が BBS サーバのようなものをバックグラウンドで動かしている。それでも OS/2 ならPCをふつうに使える。
  • ワークプレース・シェルの強力なユーザインターフェースによる、妥当な使いやすさ。

しかしもちろん OS/2 にも弱点は存在した(やはり順不同)。

  • DOS や Windows との最高度の互換性の提供。いや、間違ってはいない。多くのアプリケーションベンダが DOS や Windows のアプリを開発することによって DOS/Windows 市場の先の OS/2 市場に至り、ネイティブ OS/2 アプリケーションを開発しなかったことでそれを物語っている。
  • OS/2 を叩きのめすことに全力を尽くした Microsoft を相手にした厳しい競争。そのもっとも有効な手段は OEM を Windows プリインストールの契約で縛ること、そして ISV の OS/2 アプリケーション開発を阻止することであった。
  • IBM 自身の注力が傍目に見て(あるいは実際にも)足りなかったこと。IBM 自身が IBM のハードウェアに OS/2 をプリインストールしないようなことがあり、顧客が OS/2 に全幅の信頼を寄せることを妨げることになった。
  • IBM のお粗末なマーケティング。IBM はモノの売り方を知らなかった。彼らは伝統的に法人顧客の相手にきわめて長じていたが、大衆消費者向けマーケティングはまったく勝手が違う。

さて、以前のバージョンの OS/2 からの改良点をもっとじっくり見てみよう。まず技術的な違い。

  • OS/2 Warp は実行ファイルサイズをより小さくできる改良型フォーマットをサポートしていた(OS/2 2.11 やそれ以前の OS/2 では使えない)。残念ながらほとんどの開発者はこれを使わなかった。
  • ディスプレイドライバとプリンタドライバのドライバモデルが改良され、開発者にとってこれらのデバイスのドライバ作成がより容易になった。それでもやはり、ディスプレイドライバを書くことは一大作業だった。このことがデバイスドライバ不足の一因となった。
  • マルチメディアの進歩。テレビチューナーカード、ビデオキャプチャカード方面のサポートが加わった。
  • 入手可能なドライバの選択の幅がさらに広がった(OS/2 2.11 は実際多くなかった)。

使い勝手の向上点もいくつかあった。

  • Alt-F1 で起動手順が変更できること。これは私のお気に入りだ。バージョン 2.1 までは、これが利便性における最大の問題のひとつだった。Warp になるまで OS/2 ユーザは手元に起動フロッピーなしで済ますことができなかった。
  • デスクトップのレイアウトが強化され、アイコンが新しくなり、スキーム・パレットがより魅力的になった。
  • 初心者ユーザ向けのチュートリアルプログラムはかなり改良され、見栄えがとてもよくなった。

オーケー、これぐらいにして、実物をみてみよう。インストール直後の OS/2 Warp はこんな風になっている。

(figure: OS/2 Warp)

OS/2 2.11 よりこざっぱりとしていて、ひとつ新しい特徴がある。デスクトップ最下部の LaunchPad である。LaunchPad は洗練されており、完全なドラッグアンドドロップのサポートによって WPS の威力を見せつけるものだった。

インストール

私は OS/2 Warp without Win-OS/2(赤箱)をインストールした。なにしろ普及したバージョンである。素敵な光沢印刷のボール紙でできた箱に3.5インチ 2HD フロッピーが二枚と CD が二枚入っていた(いうまでもなく CD-ROM 版だ)。片方の CD にはオペレーティングシステムとドライバ、サンプルのマルチメディアファイル(サウンドとムービー)が入っていた。もう片方の CD は BonusPak を収めていた。これはアプリケーションとツールの集合体だったが、その中でもっとも重要なものは IBM Works と IBM Internet Connecton for OS/2 だった。箱の中には素敵なユーザーズガイドと OS/2 ISV やコンサルタントの情報目録もあった。

自宅マシン(256MB RAM と 32MB Matrox G400 搭載の PIII-600)への OS/2 Warp のインストールは、最新の IDE ドライバとフロッピードライバで書き換えた起動フロッピーを作った後は何事もなく終わった。CD からのインストールならそれほど時間はかからない。基本 OS がセットアップできたら あとはもう Matrox のグラフィックカードのドライバをインストールするだけで準備完了だった。

あとになって、私は OS/2 Warp Connect with Win-OS/2(青箱)にアップグレードした。

一大特徴

最大の新特徴はもちろんインターネットだった。Microsoft がその重要性を理解するはるか以前から、OS/2 はインターネットをサポートしていた。今回、箱には「ここから情報スーパーハイウェイに飛び込もう(Your on-ramp to the information superhighway)」*2というキャッチフレーズが書かれていた。

「スーパーハイウェイ」関連のものは二番目の CD である BonusPak ディスクに入っていた。FaxWorks や VideoIn、IBM Works などとほぼ同じ箇所に IBM Internet Connection for OS/2 があった。それは完全にダイアルアップユーザを対象としたもので、IBM ダイアラーと「その他のインターネット・プロバイダーに接続」ダイアラーが入っており、この時点でサポートしていたのは SLIP のみで、より新しくその後主流となる PPP はサポートしていなかった。

基本的なインターネットクライアントソフトウェアも提供されていた。FTP、telnet、電子メール、news、WWW(まだ初期的段階だった)である。それに Gopher などのような今日では廃れてしまったプロトコルのサポートもあった。

IBM Internet Connection は OS/2 1.3 時代に出た IBM の TCP/IP キットの超簡易版だった。

Warp Connect

以前にも話したが、IBM は1995年に OS/2 Warp Connect を売り出した。これは基本として、既存の IBM 製品を複数バンドルしたものだった。基本システムと BonusPak に加えて、Warp Connect には IBM の LAN クライアント(ピア通信機能も含む)、Novell NetWare リクエスタ、TCP/IP サポート、LAN Distance(リモート LAN アクセス)が含まれていた。つまり Warp Connect はすごくコネクトできるものだった。

複数の単独製品がひとつにまとまったことが、特に新規ユーザに対していささかの混乱をもたらした。基本的なネットワークサポート用に MPTS(マルチプロトコル転送サービス)があり、それ以外の製品はすべてこれを必要としていた。IBM LAN リクエスタは OS/2 1.x 時代からほぼ変更がなく、依然としておなじみの NET コマンドをサポートしていた。IBM ピアは IBM LAN Server の簡易版で、管理ツールがほぼ削除されていた。NetWare リクエスタと LAN Distance ははるか昔にほんのすこししか使ったことがないのでコメントは控える。 このなかで最も興味を引くのはおそらく TCP/IP だろう。やはりこれも IBM の TCP/IP キットに対する何かしらの簡易版で、NFS サポート、X サーバ、そしてあまり一般的でないと考えられるソフトウェアが含まれていなかった。 それに含まれていたのは、ともかくもTCP/IP 転送プロトコルの完全なサポートと FTP、Telnet、Gopher、電子メール、news(NNTP)、WWW という多数のクライアントアプリケーションであり、素の OS/2 Warp に入っている IBM Internet Connection と似たようなものだった。

インストール後の Warp Connect はこんな感じになっていた(IBM ピアと TCP/IP をインストールしてある)。

(figure: Warp Connect)

素の Warp よりフォルダが多くなっており、追加機能をすべてインストールすればもっと多くなりそうだということはすぐおわかりだろう。WebExplorer がどんなだったかもう忘れてしまった人は、これで思い出してもらおう。

(figure: Warp Connect - IBM WebExplorer)

もっとも重要な Web ページの中に古い WebExploer 1.01 でいまだに表示できるものがある、ということがおわかりいただけるだろう(笑)*3

アプリケーション

OS/2 Warp のユーザはアプリケーション選択の幅がより広がった。それぞれ複数のワードプロセッサ、表計算ソフト、データベース、開発ツール、通信プログラムがあり、どんなソフトでもあった。いままでベクタ描画プログラム、ワードプロセッサ、アプリケーション開発ツールの概要をとりあげてきたので、今回は画像処理ソフトにしてみた。

これにはきわめて技術的な理由がひとつあり――つまり画像処理プログラムは高分解能、とくに色分解能の高さが必要なのだが、手持ちの Matrox G400 用 の OS/2 2.11 もしくはそれ以前で動作するドライバが手に入らず、16色でまともに見られる画像処理ソフトがなかったのである。だが Matrox のドライバは OS/2 Warp ならきちんと動く。

最初にとりあげるアプリは最も古く、おそらく最も有名なもの、すなわち SPG 製の ColorWorks だが、これを作者は「アーティストのための究極プログラム」と謳っていた。ColorWorks の最初のバージョンは1995年にリリースされ、その後バージョン1プラス、そして2に続いた。必ずしも安いとはいえなかった(パッケージの箱には329ドル99セントの値札がついている)が、他の同類プログラムに比べて高価ということもなかっただろう。

ColorWorks は大部分において他の画像処理ソフトとほぼ同じだったが、個性的ともいえる一風変わった特徴がすくなくともふたつあった。DIMIC と SMP スマートスレッディングである。DIMIC はメモリ内画像の動的圧縮(Dynamic In-Memory Image Compression)を表わし、処理速度を犠牲にして、RAM 内の画像イメージを圧縮しておけるという方法を指している。これにより ColorWorks のユーザは通常時よりさらに大きな画像を編集できた。SMP スマートスレッディングはそのものずばりのマルチスレッドサポートである。ColorWorks は複数のスレッドに仕事を分配して並行処理できた。シングルプロセッサマシンでは有効性が皆無だったが、SMP マシン上では(OS/2 2.11 SMP を使っていれば)処理をたしかに高速化できた。

(figure: ColorWorks for OS/2 - Program Operation Setup)

CPU の数が(メモリ転送帯域幅のボトルネックのために)技術的に不可能となる64個までは CPU 数に比例して性能が向上する、と SPG は保証していたが、それがたしかにそうかもしれないと思えるほどに 2-4 Way SMP マシン上での性能向上は強烈だった。

なにはどうあれ、ColorWorks は使えるプログラムだった。付属していたサンプル画像の一枚が証明するように。

(figure: ColorWorks for OS/2 - CWDEMO1.TIF)

この手のプログラムに期待されるもの――ドロー機能、色処理、フィルタ、あらゆる効果――はすべて持っていた。

他に TrueSpectra Photo>Graphics というグラフィックプログラムがあった。これがどういったプログラムなのかうまく言えないが――ビットマップとベクター志向ドロープログラムとの興味深い混成児だった。Photo>Graphics は独自の流儀で動作する。出力はビットマップだがビットマップ一枚としてではなく、むしろオブジェクト(ビットマップでも可)やテキスト、エフェクトの集合体として保存されており、ベクター志向アプリ寄りだった。これには重要な利点がふたつあった。

  • 出力画像を、画面やプリンタなどにむけて異なる分解能で出力できた。
  • 画像を個々の「単位(atom)」に分解し、思うまま再構成して、きわめて容易に編集できた。

TrueSpectra Photo>Graphics はこんな感じだった。このスクリーンショットは1996年初期の古いベータ版でのもので、私が見つけられたいちばん古いものである。

(figure: TrueSpectra Light Beta)

Photo>Graphics では簡単にテキスト、画像の編集や望みどおりの結果変更ができた。出力がペラのビットマップ画像になるのは、印刷もしくはディスクに保存するときだけだった。

市場における OS/2

OS/2 は苦境にあった――IBM の外部であれ、内部であれ。よく知られていることだが、Windows95 のリリース時、Microsoft は IBM PC Company に対し、Windows95 のライセンス契約をぎりぎりまで拒絶し、他の OEM よりも高い金額を要求するというかたちで強硬な圧力をかけていた。

しかし、他ならぬ IBM 内に、OS/2 の未来に大きくかかわるプロジェクトがあった。OS/2 for PowerPC である。その存命中、始終方向性が変わり、どこか不透明なプロジェクトだった。 このプロジェクトの始まりがどういうものだったのか、そもそも明確な始まりというものがあったのか、よく分からない。1990年代初期のある時点で IBM は、こんなクールなワークプレース OS(Workplace OS)があったらいいとは考えていた。すなわちそれは、RISC プラットフォーム上で動作する、マイクロカーネルベースでオブジェクト指向の「メタ OS」(いまわしき煽り文句の寄せ集め)だった。 それは複数のオペレーティングシステムを同時に動かすことが出来た。 それが実際どの OS についてのことなのか、今となっては誰も信じないだろうが、OS/2 や Windows NT、MacOS、Solaris がこれらに含まれることは確かだった。 それらすべての OS をひとつのマシンで同時実行したい理由は、IBM がまともに認めたことなど一度もなく、とここん考えることもしなかったようなことなのだろう。もちろん「それが我々には可能だから(because we can)」は正解ではなかった。

ともかく IBM は目標を変えつづけ、結局プロジェクトは OS/2 for PowerPC となり、最終段階では OS/2 Warp Connect, Power PC Edition と公式に呼ばれていた。IBM は1993年から1995年にかけて、この製品を過大に持ち上げていた。多くの関連記事が書かれ、DevCon CD には PowerPC SDK のベータ版さえあった(そう、私はこれを持っている)。移植ワークショップが次々開かれ、Stardock や Sundial System のような会社が自社製品を OS/2 for PowerPC に移植した。思ったほど困難ではなかったのだ(なんといっても OS/2 2.0 は移植性を念頭において設計されていたのだ)。

OS/2 Warp Connect, Power PC Edition のリリース日が近づくにつれ、熱が引いていった。そして OS/2 for PowerPC のリリース予定時期、IBM は突如沈黙した。製品はリリース「され」、運のよかった数名のみがこのソフトウェアを自分のものにした(私はそうではない。不幸にして)。しかしそれは容易に入手できるものではなく、IBM と特別な関係を結んだ顧客しか実際にそれを買うことができなかった。OS/2 Warp for Power PC Edition についていま残っているものは、1995年に IBM International Technical Support Organization が発行した「OS/2 Warp (Power PC Edition) - A First Look」と題する一冊の redbook がその全てである。興味のある人のために言っておくと、文書番号 SG24-4630-00 で今でも手に入る*4。実に興味深い読み物である。

OS/2 Warp for PowerPC プロジェクトの失敗には複数の理由がある。いくつかは IBM 外部の問題であり、それ以外はまったく内部の問題だった。

  • じつのところ誰もそれを「必要」としていなかった。
  • プロジェクトの深刻な管理ミス、中間管理職がプロジェクトの状況について上司に虚偽の報告をしていた、などについて多くの逸話がある。
  • このプロジェクトの要は PowerPC アーキテクチャの成功であったが、不首尾に終わった。*5

全体的に見て、OS/2 for PowerPC は大失敗であり、OS/2 を死に導くことになった。パーソナル・システム事業部(PSP division: Personal System Products division)*6は深刻な打撃をうけ、その後長くは生き残れなかった。数十億ドルが費やされ、その大部分は事実上無駄になった。とはいえ OS/2 Warp for PowerPC 向けに開発されたいくつかの技術が、後に OS/2 Warp V4 や別のところで陽の目を見たのではあるが。もし IBM がこの何十億ドルかをまずインテル版 OS/2 につぎ込んでいたらどうなっていたか、と思わずにいられない。

この大惨事から学ぶべききわめて重要な教訓がひとつある。専門家を信じるなということだ。彼らは未来が見通せるわけでもないのに逆が真だと言いたがる。 1980年代終りから1990年中期まで、彼らの口癖は「CISC は死んだ。これからは RISC」だった。そう、彼らは正しかった。だがその推論には致命的な漏れがあった。こういった専門家はもっともありふれた CISC プロセッサであるところのインテル x86 互換アーキテクチャが「消えて」、PowerPC のような(あるいは Alpha、MIPS、他そういったもの)RISC ベースのアーキテクチャに入れ替わるだろうと予測していた。インテルやほかの x86 互換 CPU メーカ(AMD、Cyrix ほか)の技術者たちだけはそこまで愚かでなかった。彼らが行ったのは RISC コアと x86 互換のフロントエンドで CPU を作り上げることだった。CISC との100パーセントの後方互換性を保持しつつ RISC の性能を持つという、専門家たちが予想しなかったものを彼らは成し遂げた。というわけで、仮にそれ以外全ての問題に悩まされるなかったとしても、OS/2 for PowerPC の命運は決していたのだった。

(てきとうな訳注)

*1 CD-ROM 版には CD-ROM 用のインストールイメージのほかに、フロッピー版のイメージファイルも入っていた。DOS もしくは OS/2 で CD-ROM 利用可能な環境があれば、自力でイメージファイルからインストールディスクを作成することができた(40〜50枚程度のディスクが必要だけど)。ついでに言うと、値段も FD 版より CD-ROM 版のほうが安かったと思う。

*2 日本語版 Warp V3 では「今すぐインターネットの世界へ!」だったと思う。

*3 ちなみに WebExplorer はスタイルシートはおろか、JavaScript やフレームさえサポートしていない。(もしかすると背景画像やテーブルさえサポートしてなかったかも)。つまり DOS 版の WebBoy 以下なんだよね…。真面目な話、OS/2 ネイティブの Netscape Navigator が移植されるまで OS/2 の Web ブラウズ環境はかなり貧弱だった。もっとも Win-OS/2 で Windows 3.1 版の Netscape Navigator や Internet Explorer を動かすことはできたけど。

*4 redbook は IBM の RedBooks サイトでオンライン閲覧および pdf のダウンロードができる。興味深い技術文書がいろいろとあるのでいちど適当に検索かけてみるとよいです…しかし先ほど SG24-4630-00 をサイト内検索したがまったくそれらしい文書がひっかからなかった。わざと隠してあるのかとさえ思える(などと邪推してしまうのも、じつはそれらしいアドレス、つまり www.redbooks.ibm.com/redbooks/pdfs/sg244630.pdf あたりを指定すると pdf ファイルが落とせるからだ)。

*5 まあ野暮な訳注ですが…うまくいかなかったのは Power ベースの CPU を搭載した(PowerMac 以外の)パーソナルコンピュータであって、Power アーキテクチャの CPU がビジネスとして失敗したわけではない。Power ベースのPCが失敗した理由は OS/2 的な文脈よりももっと大風呂敷な(Apple あたりも含めた)話になるだろうと思われる。

*6 いちおう原文に則した訳にしてみたが、文脈から判断するに「パーソナル・ソフトウェア事業部 (Personal Software Producuts division)」のことだと思う。パーソナル・「システム」事業部はハードウェア関連の事業部である。